2009年8月26日水曜日

これで景勝が守れるか 上高地周辺の山崩れ、がけ崩れ







何年ぶりかで、上高地を訪れた。新しい釜トンネルになって2回目だからそんなには立っていないはずだ。

 しかし、今回の上高地は景勝地というよりも、山崩れ、崖崩れが目立ち、上高地の観光に暗雲がたれ込めている感じがした。上高地は遠い将来、梓川は大小様々な石ころと、倒木、流木で埋まり、周囲の急峻な山々は山崩れと崖崩れで白い(?)山肌をのぞかせた殺風景な風景に変わって行くだろう。

 沢渡駐車場でバスに乗り換えて梓川に沿って走るが、梓川の対岸で大きな山崩れが目に入った。V字型の渓谷で川底には大きな石がごろごろ転がっている。崩れた土石が川を堰き止めているのかと思ったが、濁流となって流れ下ったようだ。
 
 新釜トンネルは快適だ。古い釜トンネルの時は、狭くて低く、暗い。勾配も急で「大丈夫か」と心配になるくらいだった。トンネルを通り抜けると、「ホッ」としたものだ。

 ところが、見えてくる焼岳の下部の大きな山崩れ、上流の多数の山崩れ、沢崩れには驚く。明治から大正にかけての活動でこのような山体になったという活火山で、今でも頂上部では水蒸気やガスらしきものが噴出している。この大正池にも昭和37年の爆発で泥流が押し寄せたようだ。

 この上高地は、明治中期には放牧場や狩猟場だったという。

 3000m級が12座ある北アルプス(飛騨山脈)のうちで、焼岳と西穂高の鞍部は低い。このことが北陸から鎌倉への山脈越えの鎌倉街道になった。野麦峠などが女工哀史では有名であるが、戦国時代、信州へはこのアルプス越えだったらしい。最近でも、安房トンネルが開通するまでは、安房峠は交通の難所で、冬季は通行止めになった。で

 かなり前だがシーズンが終了すると、ブルドーザーで大正池を浚渫する様子がテレビで報道されたのを覚えている。今でもこの作業をやって大正池の景勝を保っているのだろうか。

 河童橋から明神池まで散策することにした。行きは梓川の左側、帰りは右側の散策道を利用した。

 明神池まで各所で土石流が見られる。前穂、岳沢への登山口にはヒュッテ閉鎖、キャンプ不可との掲示が出ていた。雪崩で崩壊したらしい。

 この穂高連峰は洪積世氷期に発達したカール、堆石、U字谷など氷食地形が残っている。花崗岩、安山岩、ヒン岩、石英粗面岩などが風化し、雪、雨で流れ出してくる状況なのだろう。

 上流に行くほど、川幅は広くなり、石ころごろごろ、倒木、流木が放置された状態だ。自然環境を保つにはそのままにして置いた方が良いと思うが、明神橋上流にはブルドーザーが入り、作業していた。

 明神岳でも山崩れが各所に見え、もっと上流は、山崩れ、崖崩れが相当発生していることが想像出来る。「こんなにでっかい石がよくあるものだ」と感心するぐらいだ。

 帰りの遊歩道でも、川に迫り来る急峻な山、沢から流れてきた土石に驚く。巨木ごと崖崩れもあるし、脆い地肌が露出している箇所もある。発生時期もそんなに前ではない。

 川の両側は、鳥獣保護区に指定されているが、鳥の声も聞こえず、虫も見あたらない。流出した土石、倒木で保護区も疲弊してきている。

 このままでは、景勝地と言うよりも、殺風景な川原に変わっていくだろう。

 道路やトンネルを作るのは金次第だが、自然の破壊力には技術や金を持ってしても勝てない。

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