2009年10月14日水曜日

提案されては消えた政府紙幣だが、やってみる価値はある




政府紙幣は、財政支出、デフレ対策で提案されてきた。つい最近では名の知れた経済学者(?)がデフレ、円高の経済不況にあって、景気刺激策として償還の必要のない政府紙幣の発行に関連して発言している。
 政府紙幣発行で、デフレから物価上昇へ、円高から円安へ誘導しようというモノだ。時の政権内でも検討されたようだが、伊吹さんが「マリファナの様なモノ」と言ったように、ハイパー・インフレ、大幅な円安への危険がぬぐえず、末期の麻生政権でも採用に至らなかった。

 私も発行に興味がある。今の鳩山政権での景気対策は、子育て手当や補助金の拠出での刺激策で、公平性に欠け、且つ子育て手当などは民主党政権を支持する者でも、過半数が反対している政策である。

 それよりも、皆平等に一人あたり30~50万円を配るのは公平なやり方である。金額もでっかいから、先の給付金とは違って,今回は何か買ってみようということになるかも知れない.

  その時の経済の背景、発行してどうなったか、調べてみようと日銀金融研究所貨幣博物館に行ったが、政府紙幣も歴史があり今まで我が国でも発行されてきたと言っても、最近では明治の初期と昭和13,17年頃のことで古い。

 確固たる財政地盤もなかった明治政府は国庫の窮乏を補填するとともに、各藩や民間に殖産興業資金を貸し出すために1868年(明治元年)「太政官札」を発行した。しかし、この紙幣は新政府の権威が確立しない段階で発行され、兌換準備や発行額の制限もなかったために価値が下落、混乱に一段と拍車がかかったと言う。

 いずれは新貨幣に交換される事になっていたが、財政事情も窮迫、新貨幣の不足などに対応するために為換座三井組の名義で新しい円単位の政府紙幣を発行した(明治4~5年)。

 日中戦争が拡大に向かった1938年(昭和13年)臨時通貨法が制定されて新素材、新形式の補助通貨を発行できるようになった。そして素材を節約した少額貨幣紙幣が次々に発行された。小額政府紙幣50銭券(昭和13年)は、富士山を画いていたが、昭和17年の政府紙幣は靖国神社に変わった(以上の項 貨幣博物館の展示資料から)。

 今までの発行理由は、殖産興業資金の貸し出しなどを目的にした事もあったが、戦時中の金属不足による硬貨の代替品だった。
 今、デフレ対策、円高対策の景気刺激策としてその可能性が話題になってきた。

 提案しているのは、我が国の著名な経済学者ではない。どちらかというと亜流の経済学者だ。しかし、やってみる価値はないだろうか。

 09年度のノーベル経済学賞の受賞者は、経済学者ではなく政治学者だということが波紋を呼んでいる。ここは亜流の経済学者の政策に頼ってみるのも一手ではないだろうか。長期の経済停滞を我慢するか、物価上昇や円安を選択するかだ。

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