2010年1月13日水曜日

新聞の衰退が、政治への監視を怠ることになるのは確かだ




もう50年近く新聞を読んでいると、「新聞がなくなったらどうしようか」と考える。勿論インターネットで新聞社の無料ニュースサイトも閲覧しているので、新聞がなくなればネットのニュースサイトを見ることになるのだろう。

 紙の新聞の状況は厳しい。広告収入に影響する発行部数を多くするために「押し紙」が横行している。販売店に新聞を下すが、直ぐに回収する割合が10~15%あるらしい(あるいはもっと多いかも)。

 新聞広告収入は、ピーク時の70~80%位に落ちている。ネットは閲覧者層が絞れるので効率的に広告が打てるメリットが大きいらしい。私のような人間は、店で実物を確かめて購入するので、ネットで物を購入するようなことはしない。まだまだ信用が出来ないからだ。

 米国では「紙の新聞は死んだ」と言われているようで、多くの地方紙は廃刊になっているし、ニューヨーク・タイムス紙など大手新聞は紙からネットへ経営の重点を移そうとしている。しかし、ネットのコンテンツは無料が常識になっており、経営のことを考えて有料にするかは大きな問題であるらしい。

 我が国でも日本経済新聞がネットでの有料化を検討しているらしいが、結論は出ていないようだ。産経新聞が月1980円で有料ニュースサイトを公開していたはずだと思って、産経新聞のHPを開いたが、その有料ニュースサイトが見あたらなかった。うまく行かなくて撤退したのだろうか。

 有料となると月1980円の料金は目安になるのだろう。これで優秀な記者を雇用出来、質のよいニュースが配信できればよいのだが、無料という意識が強ければビジネスとしてはなりたたない可能性もある。

 そうはいっても、新聞にはがんばってもらわなければならない。

 NHKクローズアップ現代「新聞 押し寄せる変革」(2010.1.12)を見ていて痛感した。米国のジャーナリストのコメントは、我が国でも言い当てている。

 新聞が読まれなくなった結果、「投票率の低下」「候補者の減少」が現れてきたという。我が国でも、若者の新聞離れは現れており、若者の投票率は低下、無党派層が50%近くまでなったことがある。更に各政党は候補者の掘り起こしに苦労している。得票を挙げようと思えば、名前の知れた有名人になるが、政治家として役立つかは疑問だ。それでも見つからないときは元職、前職が候補者になる。これでは、有権者に飽きられる。

 そして、新聞の大きな役目は、「政府を監視すること」で、このままジャーナリズムが崩壊すると米国は汚職天国になると指摘されているが、我が国だって例外ではない。

 長年の自民党政権下での族議員の跋扈、呆れかえるほどの官僚の省利省益行動、国の財政を蝕む税金のムダ遣いなど上げたらきりがない。経営難にある毎日新聞の社長が「記者クラブでの会見の内容で記事を書くような記者はいらない」と言うように、政府とのなれ合いでは、政府を監視できない。

 今一番おかしいのは、政権与党の総理、幹事長2人が巨額の政治献金疑惑の渦中にあることだが、鳩山さんの疑惑を許そうとする考えが国民にあることだし、小沢さんの献金疑惑は場合によっては贈収賄にもなりそうであるが、追求はままならない。12日の会見でも「計算上のミスはあったかも知れないが、意図的に法律に反するようなことはしていないと信じている」と繰り返すばかりだ。地検特捜部の徹底的な事件解明が期待される。

 発生している政治への国民の不信は、新聞、ジャーナリストの監視が十分でなかったことにあると言えるのかもしれない。
写真(左) 「紙の新聞は死んだ」 経営の悪化、地方紙の廃刊が続くアメリカ
       2010.1.12 NHKクローズアップ現代より
写真(右) 田中正造 100年前に「国民監視怠れば、為政者盗人になる」と警告している
       田中正造記念館

 いみじくも、足尾鉱毒事件で被害者の救済に生涯を捧げた田中正造が、「国民監視怠れば、為政者盗人になる」と警告したのは今から100年ほど前のことだが、一向に日本の政治は変わっていないのだ。

 日本の新聞がなくなることは考えられないが、しっかり新聞を読んで、政府を監視しなければならない。

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