2011年3月21日月曜日

防災計画って何だったのか


今、東北地方で壊滅的な激甚災害にあった自治体の防災担当者の全員が感じているのは「防災計画って何だったのか」ではなかろうか。これだけの被害が出れば、「むなしさ」だけが残る。

反省の第一は「予想を絶する巨大地震、津波」だ

この辺りは、三陸自身、チリ地震による津波に何回も襲われ、その都度防災対策が見直され、実施されている。地元の人達が自慢する巨大な防潮堤は、今まで津波が越えることもなく、「油断」するのも当然だ。

ところが今回の地震、津波であっさり消失、破壊した。

防災のベースは、宮城沖地震で連動型でM8.0、津波高さも6.5~7mが想定されていた。ところが実際にはM9.0、400~500kmにわたって断層が動き、津波高さも三陸海岸では15mをこし、広域で被害が出た。津波到達域もシミュレーションを遙に越え、避難所と決められていた場所も津波に襲われる結果になった。

地形も山々が迫り、河川が湾に注ぎ、その河川の流域に平坦部が広がり、街を形成している。津波は平坦部を襲い、山沿いでは更に津波の高さが増し高台にも迫る勢いだった。

地震の後津波は30分ほどで到達する予想になっていたが、地震と同時に高台を目指さなければならず、実際に余裕などなかったはずだ。港の船は沖に待避する余裕もなかったのだろう。至る所に巨大な船が乗り上げている光景を見ると、何とかしなければと思う。

今は、被災した自治体は復興に向け忙しくて、実態調査は出来ないだろうが、防災研究者が生き残った人達の行動を調査し、防災のあり方を検証するだろう。

今回の東北地方太平洋沖地震、津波は、自治体の防災計画を大幅に見直しすべきことを警告しているのかも知れない。

「自然と共存」した都市開発が望まれる。


写真:高さ10m、総延長2kmの防潮堤を津波が超えた 2011.3.21 NHK 

0 件のコメント: