2011年3月27日日曜日

民主党政権の大いなる勘違い、政治主導=パフォーマンス


あれだけ「政治主導」と言っていたので後へは引けないのだろう。菅総理も政治主導に拘っている。内閣府に学者のブレーンを引き入れ、誰が司令塔か分らず、会議は開催するが巨大な官僚組織を使いこなしていない。自ら動けば「パフォーマンスばかり」と批判され徳のない人だ。


巨大な組織と情報、ノー・ハウを持っている官僚組織の力を利用しないなんてとんでもないことだ。遅ればせながら仙石さんが官房副長官につき官僚を使おうとする気運が出てきた。


こんな大震災を起こしながら中央官庁からの情報は、大臣が記者会見して報告するだけだ。 官僚が出しゃばるコトは良くないが、情報はしっかり挙げて国民に開示するのが仕事ではないのか。政治主導で声がかからないから、サボタージュするのであれば国を滅ぼすコトになる。声がかからなくても仕事をすることが公僕の仕事だ。


それにしても「政治主導」には困ったモノだ。国会議員が政治家としての器ではないのだ。


官僚から政治を取り戻す動きは30年も前に遡る。土光臨調による行政改革だ。


今は政治改革のキーワードになっている。これを強力に進めたのは自由党党首だった小沢さんだ。英国の政治をモデルにするから大丈夫だと言ったことがある。確か、大臣がペーパーを棒読みしたり、官僚に答弁を任せる姿は、政治家って何だろうと疑問に思ったことがある。


民主党は「政治主導」を掲げて政権交代を勝ち取った。これをやらなければ「日本は変わらない」というのだ。鳩山政権では「政治主導」がキャッチフレーズになった。 しかし、自民党政権での政策との違いを出そうと、大見得を切ったが、ダッチロール状態でウソにウソを重ねる最悪の状態で、自らの「政治とカネ」の問題もあってあっけなく沈没した。


後を継いだ菅さんの政治主導は、お寒い状態だ。 民主党政権の勘違いは、政治主導=パフォーマンスにある。


小沢さんなら出来るだろうと期待する向きはあるが、菅政権に対して対案を出すわけではなく、政治は権力闘争と豪語するように、党利党略、自らの勢力拡大を目指すだけで、とてもではないが理想の政治を求める理想的政治家からは、ほど遠い。 この非常事態に小沢さんを取り込んで挙党体制でやろうと言う考えもあるようだが、仙石さんが入ってきたことでその芽はなくなったと思う。


菅さんが、パフォーマンスをやらず、しっかりやっていると評価されるにはどうしたらいいのか。


官邸、内閣府のブレーンを少なくし、官僚から情報をあげて、「こうしよう」と方向性を出せばいいのだ。担当大臣、政府機関が記者発表する前に、まず自分が記者会見するなどもってのほかだ。 官僚や大臣に任せることは任せ、自分は国民に強いメッセージを送ることが今要求されているのではないか。


国民は冷静な目で政府を見ているのだ。アメリカ大統領を見習え。

0 件のコメント: