2011年4月29日金曜日

原子力発電:科学も政治に取り込まれると変わったモノになるのか




科学も政治や行政に組み込まれて政策となると、その内容も変わってくるコトが多い。原子力発電もその危険性から科学者、業界がグズグズしている間に、政治が予算化し一挙に推進派が群がり、危険な技術がいつの間にか安全な技術になり、巨大津波が要因だったとは言え今回の原発震災へと繋がることになった。

その経過は、理論物理学者の故武谷三男博士の「危ない科学技術」(青春出版社 2000年3月)に記されている。それによると、原子力研究に日本学術会議や湯川、武谷さんら科学者が、その危険性から「ぐずぐず」言っていた1954年に、中曽根さんが約2億4千万円の政府予算を計上したところ、多くの学者や技術屋が飛びついた。基礎研究などやらず、科学者から見ればオモチャのような原子炉を米国から買ってきたのだ。

科学者も「ぐずぐず」ばかり言っても居られなくなり、原子力平和利用三原則を学術会議に提案した。所謂「公開」「民主」「自主」だ。このどれ一つ欠けても科学技術が私達のモノにならないと考えたが、原子力推進派によって蔑ろにし、踏みにじられた。そして今日の終末的結果を招くことになったと言うのだ。

三原則の一つ「公開」とは情報公開であるが、今回の原発震災を見ると、多くの情報が発せられているようであるが、発表のタイミングが遅れているし、重大な情報が隠されていると国民は思っている。

東電社長が謝罪のため避難所を訪れたとき、女性が「モニターであれほど安全だと言っていたではないか」と詰め寄っていた姿が印象的だった。「危険な技術」が何時、「安全な技術」に変わったのか。
国家政策になると、科学も変わってくるのだ。

「今の巨大技術で一番安全なのは原子力発電だ」という話を何度も聞いたことがあるが、「ただし、事故が起こるまで」と条件が付いていた。

同じコトが、今右往左往している地球温暖化対策でも言える。

コレと言った政策課題が無いとき、政治家は環境問題に飛びつく。地球の温暖化を食い止めようと政治家が動いたのは良いとしても、あらゆる分野の科学者がその原因を議論しないままに、一部の機関の報告書からCO2による人為的起因説に傾き、政治家や環境問題の専門家、コレによる利権者が集まってCO2削減策を展開しているが、各国の利害、思惑がからんで右往左往している。

国際的政策として誰でもが納得のいく理由が必要であるが、最近、宇宙物理学、地球物理学分野の研究者から自然現象に基づく自然起因説が出てきた。CO2起因説でのデータねつ造問題も発覚し、科学者がもっとしっかり議論すべきであると思う。そうでなければ地球温暖化防止に莫大な費用をかけるコトになる。今の状態では、遅々として進まないことがせめてもの慰みだ。

科学は、あくまでも科学だ。政治に取り込まれて変質してはいけないことが、今回の原爆震災ではっきりした。国家政策推進のために予算に群がった科学者、専門家は一度反省すべきである。そして御用学者は去るべきだ。

写真は発電コストの比較。最終処分が決まっていない原子力発電が一番低く抑えられているコトに誰でも疑問がある。2011.4.16 日テレ 「崩れた安全神話」より

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