2011年7月8日金曜日

菅総理 憲法で与えられた権限以上に大きい国民への義務があるんです







6,7日の国会予算委員会集中審議をNHKの中継で聞いた。原発対応で批判する野党議員の追求に「憲法上与えられた権限の中で仕事をしている」と総理の伝家の宝刀である解散権をちらつかせた。しかし、内閣総理大臣には憲法で与えられた権限以上に大きい国民への義務があるのだ。

内閣総理大臣は、国務大臣の任命・罷免、内閣不信任決議案が可決、または信任決議案が否決したときは解散権の行使、議案提出、行政各部を指揮監督など行政の長として権限を有している。

特に議会と考えが対立した時の解散権の行使は、内閣総理大臣の専権事項だ。いまは政府野党の要職にある者が、容易に解散に言及しているが、そんな立場の人間が言っても仕方ないことだ。

でも、内閣総理大臣の権限以上に、大きな義務を国民に対して負っている事を忘れては行けない。

行政権の行使に対して内閣は国会に連帯して責任を負っている。今、原発の再稼働に関しストレステストをするよう菅総理は唐突な指示を出し、既に原子力安全・保安院の検討結果から玄海原発の再稼働にGOサインを出した海江田経産相と意見が対立し、参院予算委員会で紛糾した。海江田さんは、時期をみて辞任すると言明した。

原発の再稼働時、より安全に対して評価することは誰も認めることであるが、菅総理の指示は余りにも唐突で、関係者の根回し、どういう影響が出るかも十分に評価されていない。

市民運動であれば、正しいことを主張するのは良いが、一国の総理ともなれば、その政治手法は政策の実現、国民への影響度を配慮したものでなければならない。

そして国政の福利は国民が享受するのだ。菅総理の打ち出す政策の利益は国民が得るものであるが、今、言われていることは菅政権、菅総理の「延命」のためなのだ。正しそうな政策も、菅さんにかかれば異質な政策になってしまう。

哀れな内閣だ。

又、今の国会審議は異常だ。与党の質問はヨイショが多いが、野党の質問は「責任を取れ」、「辞めるべきだ」、「質問に答えていない」という発言が多い。

松本復興相の辞任問題では、菅総理の任命責任を問われたが、「責任は認める」と言うが責任を取ろうとはしない。いつものことのように後任の適材をタラタラと述べてはぐらかす。

質問をはぐらかす答弁も多い。質問者は「質問に答えていない」と言うが、それ以上追求することなく、次の質問に移る。お互いに傷を負いたくない感じだ。

何故、納得するまで追求しないのか。議員の質問力が落ちている。

「時間がないので次の質問に行きます」というのも不思議だ。各党の質問者が、同じ事を質問している。当然の事ながら答弁も「先に答えたように・・」で始まる。各党が手分けして質問できないのか。

菅総理は、総理の権限として「解散権」しか頭にないようだが、国民に対して大きな責任を負っていることを忘れてはならない。

写真左:原発再稼動で意見が食い違い辞任を仄めかす海江田経済産業相

写真右:「憲法で与えられた権限の中で仕事をしている」と答弁する菅総理 いずれもNHK参院予算委員会国会中継2011.7.7

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