2011年9月6日火曜日

台風12号の教訓:災害に強い「地域力」が必要









6日現在で死者35人、行方不明者55人、家屋流出、土砂崩れ、河川の氾濫と被害は41市町村におよび、4300人が孤立しているという。紀伊半島を中心に大きな被害をもたらせた台風12号であったが、その教訓から災害に強い地域力が必要になってくる。

太平洋高気圧と日本海に張り出した高気圧の挟まれ、偏西風の北寄りだったためにゆっくりとし動きで、湿った空気が流れ込み太平洋側の山地に大量の雨を降らせた。三重県、和歌山県は降雨量の多い地域であるが、3日間の降雨量が年間降雨量の1/2(三重県)、1/3(和歌山県)に達した地域もある。

テレビや新聞で知る山崩れ・土砂災害の映像を見ると表層ではなく、山の内部まで大きく抉られ、強大な岩が民家を壊している。流れ下った土石量も当然多い。一部は河川を堰き止めたり、流れを変えて民家に被害を与えている。

6日、メデイアは一斉に専門家の話として、「深層崩壊」であることを指摘している。岩盤ごとゴッソリ崩れたのだ。岩盤が脆いと起きやすい。私は一度、桜の名所の高遠から国道258号を大鹿村まで中央構造線沿いを車で走ったことがあるが、ここも岩盤が脆く至るところで山崩れを起こしていた。地質が四万十帯と三波川帯の違いはあるが、海底深くからせり上がってきた地層だ、日本全国が脆いことに変わりはない。

続く豪雨、夜間とあっては、山鳴り、石がごろごろという音、ガス臭、出水など事前の兆候、異常現象を確認することは難しいだろう。「アッと言う間に山が崩れた」と言う。

役所の担当者も「前兆が確認できなかった」というし、被災住民は「避難勧告、避難指示は聞いていない」という。さらに「こんな山間部で避難する処などない」とも言う。ハザードマップなど見たこともないらしい。

地域によっていろんな事情があるだろうが、災害対策が緊急の課題になっているのに、どうしてこうなったのか。

災害に対しての地域力が劣っていないか。

その要因の一つには、「平成の大合併」が影響している可能性もある。

1999~2000年にかけて市町村合併を強行した。1999年4月に3229市町村あったのが、2011年8月には1723市町村になり、1506市町村が減った。47%の減だ。

人件費削減、行政効率をあげるのが目的だったのだろうが、地域に密着していた支所は廃止され、遠くの本所に統合され、公務員の人数もへらされた。

当然の事ながら、従来の行政サービスは出来なくなる。地域の情報、住民の要望も入りにくくなる。イザという時の緊急対応は遅れる。合併で市町村名もかわる。今回の三陸沖地震、津波災害での知名報道を聞いても「何処だったっけ」と直ぐに思い出せないところも出てきた。

御多分にもれず、災害対応でがんばる公務員も被災者なのだ。

今回の台風12号の災害の教訓として、「災害に強い地域力」の育成が重要になる。自治会、町会、或いは区の組織の強化、防災教育、災害に対するセンスのあるリーダーの育成が急務だ。「年齢から、お前が自治会長だ」など、順繰りのリーダーでは心許ない。

それに、国土交通省や県、市町村のHPでハザードマップが公開されているが、HPを開いても直ぐにハザードマップには行き当たらない。何回もクリックし、やり直して偶然に行き着く。

国土交通省の「ハザードマップ ポータルサイト」も同様だ。防災が必要なのであれば、トップページで即アクセス出来るように工夫が必要だ。

8月上旬に、熊野古道、熊野大社へ1泊2日の両行に行った。紀勢自動車道の大内山ICを出ると、山間の峠越え、国道で寸断されているが熊野古道は、ほとんどが山の中だ。ウミガメ博物館のある紀宝町、新宮市、熊野川河口、紀伊勝浦町、熊野那智大社、新聞によると大きな被害が出たという。

1日も早い復旧を願うばかりだ。


写真左:国土交通省の土砂災害ハザードマップポータルサイト


写真右:民放テレビが報じる奈良県五條市宇井の山崩れ現場 2011.9.6

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