2011年9月28日水曜日

鎌倉を巨大津波が襲うと、鎌倉大仏、鶴岡八幡宮はどうなる
















鎌倉を巨大津浪が襲うと鎌倉大仏、鶴岡八幡宮はどうなるのか。時代趨勢で観光地へ行くと、ついつい地震、津波対策は出来ているのか、観光客にどう注意を促しているのかに注目せざるを得ない。先日、鎌倉を訪れた時もそうだった。多くの観光客(年間約2000万人)で賑わう光景を見ると心配になる。

剪定された大銀杏の「ひこばえ」を見て、社務所に寄った。「津波対策はどうなっているのですか」と聞くと、「浜の方では注意看板が出ているが、この辺にはない。浜は海抜5~6m、この辺(社務所の付近)が12~13m、上の本殿で30mです」と教えてくれた。

15mほどの津波が来ると鶴岡八幡宮も石段の下の方は崩壊、流出するのだ。

ネットで鎌倉津波被害を検索すると、研究者の古文書などから鎌倉大仏の被害の調査報告が載っている。鎌倉大日記によると、1293年、1498年、1703年、1923年と数次に渡り津波被害に遭っている。特に1498年は大地震と津波で大仏殿が再び倒壊し、露座になった。太平記にも津波で流される大仏殿のイラストが載っているという。

そして、その時の津波は、今の若宮大路付近まで来たらしい。

1703年の元禄地震とそれに伴う津波では大仏の台座が崩れ、3尺下がったとも言われている。

東日本大震災を受けて、鎌倉市は津波対策を再検討すると言うが、鎌倉市のHPから津波ハザードマップを見てみた。

2010.7.5版によると、想定は南関東地震(東京湾北部地震)で関東大震災の再来型で、M7.9、震度6弱、津波は第1波が10分、第2波は27分を想定している。

津波高さの記述はないが、海岸付近の浸水深さは5m以上、想定津波による最大浸水範囲が標高7mで表示されているが、古文書などから災害が確認されている鎌倉大仏や鎌倉駅付近にも図面上マークが付いている。

だが、近い将来発生するであろう東海、東南海、南海地震の3連動型(最近ではそれにもう一つ震源域が加わり4連動型も危惧されている)巨大地震時は10~15mの巨大な津波が短時間で襲来することが考えられる。
最近の防災は、古文書などからの最大規模の地震、津波を想定し、5分以内に避難出来ることが考えられている。鎌倉も当然見直しだろう。

電柱に海抜○mを表示したり、目に付くところにこまめに海抜を表示し、更に高い場所への誘導、避難ビルの表示などを考えなければならない。観光客は常に自分の位置を確認していることが、災害から身を守ることになる。


写真上段左:鶴岡八幡宮 社務所のあるこの辺は海抜12m、階段を上りきった本殿で海抜30mだという。


写真上段右:鎌倉市津波ハザードマップ 2010.7.5 南関東地震を震源に想定、関東大震災の再来型で作成されている。


写真下段:鎌倉大仏 数次にわたる津波災害で露座になった。

[後記]
産経新聞(2012.7.16)の温故地震「鎌倉の大仏殿流失」で1498年の明応東海地震による津波で大仏殿が流出したのではなく、すでに大仏殿はなかったと言う記事が掲載された。

その根拠に「鎌倉大日記」の一つの解釈では、大地震の津波は、由比ガ浜では千度壇まで達したと記述されているが、この千度壇は、現在「下馬」と呼ばれる海岸から約1kmの場所で標高は3.8m。これが鎌倉における明応東海地震の津波到達高だと言う。

ところが、鎌倉大仏も海岸から約1kmだが、標高は13.8m、ここに到達したとは思えず、鎌倉大日記の記述は矛盾を抱えており、大仏殿が明応東海地震の津波で失われたとは考えにくいという。


歴史地震・津波学を専門とする筆者の都司嘉宣さんは、神奈川県や鎌倉市の防災計画が誤解釈の影響でゆがめられては大変なことになると警告している。







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