2012年5月29日火曜日

福島第一原発事故調・菅前総理招致:では、逆の展開だったらうまく行ったのか


事故調査委員会で弁明する菅前総理
2012.5.28 NHKニュース

福島第一原発の事故調査委員会の参考人招致が枝野官房長官(当時)、菅前首相と続き、当時新聞などで政府批判の記事が目立ったが、その真相はどうだったのか。国のトップとして当時どう考え、行動したのか、政治責任が検証できるチャンスだった。

情報が思うように入ってこない状況下で判断を下さなければならない菅前総理にとっては、相当のプレッシャーがかかったはずだ。イラ菅の異名を持つ菅前総理があたりチラシ、周囲に喚いたことは容易に想像できる。

事故発生翌日には、官房長官の中止アドバイスにも拘わらず、早々と現地視察に飛び立った。事故対応に最終的責任を持つ菅前総理にとって現地の様子を確認することは絶対に必要だったのだ。この気持ちはよくわかる。そのためにベントなどの緊急対応が遅れたとの批判もあるが、その点がどうなったのかはきちんと検証すべきである。

よく比較されるのに、阪神大震災の時の村山元首相の行動だ。村山さんは「責任は俺がとるから、存分にやってくれ」と担当大臣に指示した。新聞は「本来こうあるべきだ」と菅前総理を批判していた。

また、危機管理として情報を官邸に集約することに手間取ったのはなぜか。東電の「福島第一原発からの撤退」連絡に、菅前総理は敢然と拒否し、東電本社に乗り込んで確認した。そして東電に「事故対策統合本部」を設置した。

撤退について東電は否定しているが、あの東電のことだ。従業員の安全を考えて決めたことは容易に想像できる。周辺住民のことなど二の次なのだ。

でも、この菅前総理の指示・決断は被害の拡大を回避した重要な決断だったのだ。

原子力災害対策特別措置法にも不備があると菅前総理は指摘した。緊急事態宣言が遅れたこと、海江田経済産業相(当時)が本部設置を進言したが、菅前総理から法的根拠などを聞かれ、説得するのに時間がかかったいう。官僚が法的根拠を求めた法律集をあさっていたのか。

毎年訓練をやっているのだから知っているはずだと危機管理の専門家は指摘していたが、その訓練は、関係者の知識の範囲内のストーリーに沿ったもので、多忙な総理が覚えているはずがない。

そのために危機管理担当の人間がいるはずだが、何故か目立つ存在ではなかった。

原子力安全委員会、経済産業省安全・保安院の存在も薄かった。こんな甚大な災害の経験はないのだから、対処のマニュアルもなく、右往左往していたのではないか。菅前総理があちこちから専門家を内閣参与に連れてきたのも、わからないことではない。

特に注意が必要なのは情報公開だが、政府としてはどこまで情報を流すかに腐心したはずだ。思うように情報が集約できない、東電は当然重要な情報は隠すだろう。そして何よりも未曾有の事故だ。次々に発生する事象に的確に対応できる能力など持っていない。

メルトダウンも早い時期に想定され、安全・保安院のスポークスマン、NHKの解説員が言及していたが、いつの間にかテレビ画面から姿を消した。政府や東電からの圧力があったことは容易に想像がつく。

枝野前官房長官が、「「調整と情報発信」を一人でやるのはしんどかった」と述懐していたが当然だろう。政府の役割分担がしっかりしていない。菅前総理や枝野前官房長官が前面に出過ぎていなかったのか。パフォーマンスのチャンスではなかったのだ。

今回の事故対応での国民の目は厳しい。政府が批判されるのは仕方ないことだ。

しかし、今まで挙げられていた不手際と思われている問題が、逆だったらうまくいっていたか。

「緊急事態宣言が早かったら」、菅前総理が「東電の撤退を受け入れていたら」、「翌日の現地視察をしなかったら」、「ベントが早く出来たのか」、「海水注水を中止しなかったら(実際には継続していた)」、「東電に本部を置かなかったら」、「スピーデイーの予測結果を流していたら」、「避難区域をスピーデイーの拡散結果に従って指定していたら」、「メルトダウンを隠していなかったら」、そして「当時の総理が菅総理でなかったら」など。

菅前総理の批判ばかりでなく、もし逆だったらうまくいっていたのか。しっかり検証することだ。

そしてそれでもうまくいかなかったと思われるときは、そこに原因があるのだ。

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