2012年10月26日金曜日

橋下維新の会、石原新党に飛びつかず、冷静に見よう

25日の臨時記者会見で都知事
辞任と国政進出を表明する
石原都知事
2012.10.25TBSニュース23

橋下日本維新の会、石原新党のメデイア報道に飛びつかず冷静に見る必要がないか。噂が出ていたが、一時頓挫したように見えた石原新党構想も突然の石原都知事辞任宣言で脚光を浴びることになった。懐に入れた辞表をかざしての記者会見だったので、その決意は本物なのだろう。

石原さんの突然の辞任表明は、初めてではない。国会で永年勤続の表彰のお礼あいさつの時に、突然「今日を持って国会議員を辞任します」発言だった。国会のお祝いの席だったので皆驚いたものだが、今回は都知事の任期を3年も残しての無責任な放り出し行動に映った。

この行動に賛否両論あるだろうが、「東京のために国政へ」発言は、本人もその点を心配してのことだろう。

昨日の臨時記者会見を聞いていて、既成政党の不甲斐なさ、強固な官僚機構の抵抗で日本の見直しができない現状を憂いての決断だったことが分かる。

記者連中に「若いお前たちがしっかりしろよ」と自嘲ぎみに言っていたことが印象に残った。最後のご奉公と言いながら、80歳に鞭打っての国政参戦なのだ。

今は高齢化社会だからエールを送りたい気持ちもする。

主要な政策課題に、「醜い日本語で書かれた憲法改正」と「官僚支配の打破」を挙げた。

 タカ派と言われている根拠に憲法改正があるが、醜い日本語で書かれた憲法と言う表現には違和感がある。押し付けられたという印象もあるだろうが、当時の憲法学者によると、日本側も新憲法案を提示したが、民主化とは遠くかけ離れた内容であったために連合軍に拒否され、逆に今の憲法が提案されたらしい。今の憲法も当時国内で十分に検討された内容なのだそうで押し付けられたものではない。

自民党の新憲法草案を見ても部分的な改正ではなく、新憲法制定の様相を呈しており、現憲法はそういう大幅な改正や新しくする制定は想定していない。いわゆる硬性憲法なのだ。日本維新の会も憲法改正を謳っているが、そのプロセスは不確かである。

また、官僚支配の打破、官僚機構のシャッフルは日本再生には不可欠であるが、官僚の利権も含めてその抵抗は大きい。

民主党は、自民党の長期政権、官僚組織による腐敗を払拭すべく「政治主導」を掲げて政権交代したが、現実問題としてあらゆる面で抵抗が大きかった。

諸悪の根源とも言われた事務次官会議の廃止は天晴れと思ったが、政権運営ではサボタージュにあい長続きはしなかった。国会で審議され成立した法案も最後に官僚が手を加えることにより内容が真逆になった例もあるし、事務次官会議を経ない案件は閣議にもかけないという暗黙の了解事項がまかり通ったというのだ。

今問題になっている復興予算だって、被災地の要望は半分程度で、直接被災地の復興とは関連が薄い官僚のやりたい事業に予算配分をしていたことが分かってきた。官僚は予算の効率化で配分したというがいいわけだろう。

官僚機構との戦いを日本維新の会の橋下さんに頼ろうとしたが、ここで石原さんが出てくれば状況は違ってくるだろう。

石原さんは本音で言ったかどうかは知らないが、「橋下さんが国政に出てくるまでのつなぎ」と自らの役目を言っていた。年齢的なことを考えての発言だったのだろう。

高い理念を持っての国政への進出宣言だったのだろうが、デメリットも忘れられない。

これと言った政策を持っていないのではないか。都知事選で候補者が公約を議論しあっているときにも、出馬表明を遅らし公約議論に参加しなかったこともあるし、先の知事選で公約を聞かれて、「今まで通り、+アルファ」と濁していた。それでも有権者は「石原さんだから」と許していたのではないか。

長期政権になると、やりたいことが見つからなかったのではないか。

都の行政では、週に2日しか登庁せず、ほとんどを特別秘書に任せていた無責任さも暴露された。都民に信認されていない人間が都政の実権を握っていたことになる。前々回の都知事選で、対立候補が「私は毎日登庁する」と主張したほどだ。

説明責任も欠如している。新銀行東京の経営不振が問題になった時、実態を明らかにすることなく、責任逃れに終始した。石原さんでも都合の悪いことは逃げるのだ。

また、しばしばテレビで報道されるツッケンドンな記者会見、応答にも有権者を馬鹿にしているのではないかと疑われる姿が映る。

大きな期待を背負って新党を立ち上げるのであるから、それなりの覚悟がいる。石原ブランドで通用するものではない。

そして、私達は石原新党、橋下維新の会に飛びつくのではなく、冷静に対応しなけれ民主党の二の舞になる。









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