2014年2月21日金曜日

集団的自衛権行使の是非:護憲か、解釈見直しか、それより信義では

集団的自衛権行使の問題が国会で議論されているが、護憲か、解釈見直しか、それより信義としてどうなのかを考えるべきではないのか。要は人としての道だ。集団的自衛権行使は国連憲章で認められているが、我が国は憲法9条で許される自衛権は自国を守るための最小限度にとどめるべきだとして自衛権行使は認めていない。

しかし、時代も変わったのだから今までの憲法解釈を見直し、集団的自衛権行使をできるようにしたいというのが安倍総理の考え方だ。そうすれば外交でもうまくいくというのだろう。

日本は、これから米軍と共同して日本有事の際に行動することが起きるだろうが、万一米軍が攻撃された時、共に行動していても相手国に武力攻撃できないでは、信義に反するのではないかと思う。

有事の際に仲間がやられたら、反撃するのが当然ではないか。それとも「黙って見ていろ」と言うのか。これではどう見ても人の道に反し、はずかしくないか。

政府は集団的自衛権行使の事例として2つあげている。1つは共に活動中、攻撃された米艦を助ける場合、2つ目は米国へ向け発射されたミサエルを撃ち落とす例だ(朝日新聞2014.2.21)。

私は、共に活動していた時には、米艦を助ける行為は認めるべきだと思う。

確かに今まで憲法9条があったために、我が国は国際紛争で面倒なことに巻き込まれなかったが「Show the flag」と言われたこともあった。米国は何を求めているのか国内で議論になったことがある。

憲法9条があるからすべての武力行使はダメというわけにはいかない。だからと言って憲法改正は至難の業である。

96条で憲法改正手続きが定められ、各院の2/3以上で発議し、国民投票にかけるハードルの高い世界的にも稀な硬性憲法である。

そのために発議条件を1/2に緩和しようという動きもあるが、96条で96条を改正することはできないという憲法学者もいる。

そこで、憲法解釈の見直しで対応しようとしているのだが、「解釈の見直しは私が最高責任者」、「閣議決定する」という安倍総理発言が国会審議で飛び出した。

内閣法制局は行政の一つで、安倍総理は指揮監督する権限があるから「私が最高責任者」と言っても仕方ない面はあり、「閣議決定する」と言っても国会で承認されなければどうしようもないのではないか。エネルギー基本計画も同様だが、閣議決定すれば何でもできると思っているほど単純ではないはずだ。

集団的自衛権行使に向け先へ先へと話を進めているが、要は「信義」「人の道」としてどうかで決まるのではないか。

思い出すのは経済同友会で長い間代表幹事をやった品田さんが、終戦後抑留船で日本に帰ってくる時、船上で新しい日本国憲法を読んで、これこそ民主主義政治だと涙したという記事が以前新聞に出ていた。

また、タカ派と思われる人達は今の日本国憲法は連合軍から押し付けられた憲法だから新しい憲法を作るべきだと言う。しかし、これは間違っている。その時、日本政府にも憲法草案をまとめるよう連合国は要請したが、提出された法案は民主政治に遠い法案であったために連合国が草案を作って日本政府に提案したようだ。日本も一方的に押し付けられたのではなく、議論し、修正するところは修正し成案となったのだ(憲法学者の談)。

憲法改正にしろ、解釈見直しにせよもっと腰を落ち着けて議論すべきではないか。それとも議論が白熱すると決まらないから、「今のうちにやってしまえ」ということか。








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