2014年3月3日月曜日

首都機能移転(2):移転先が岡山県の吉備高原か

中央部が吉備高原都市
地図で訪れる歴史の舞台ー日本ー
帝国書院 平成11年1月
首都機能移転先が岡山県の吉備高原とは一理あるかもしれない。吉備高原は中国山地で広島県、岡山県、兵庫県にまたがる広範囲な高原地帯だ。その岡山県側で私も小、中学生の頃4年間過ごした。今話題の高嶋哲夫さんの「首都崩壊」が描く首都機能移転先が、その中央部なのだ。

国は移転先を愛知/岐阜、栃木/福島に絞っていたのに、何故岡山県の吉備高原なのか。不思議に思い「もしや」と著者の生まれを調べたら「岡山県玉野市」だったので「さもありなん」と合点した。

「首都崩壊」では、能田総理、官房長官、秘書官等が集まった会議で野党・幹事長の殿塚議員が「その都市をどこに造るつもりか」との質問に村津・首都移転チーム・リーダーが「まず吉備高原はいかがですか」と答えたのだ。

私も40年ほど前から、名神高速道・吹田JCTから中国自動車道へ、北房ICから一般道の国道313号を高梁、成羽を通るコースを利用していた。。

その途中の有漢(正確な地名は忘れた)あたりは所々拡張工事がされていたが、当時は国道とは言え狭い峠越えの道だった。運悪くトラックなどの後に付くと排ガスと低速で難儀したものだ。

当時、そのあたりには岡山から北へ自動車道が通り、飛行場も出来る都市開発事業があることを聞いていた。

そして何年か後、丁度バブルが弾けた時だったと思うが、週刊誌で広大な宅地造成が終わった後にポツンポツンと住宅が建ち、街灯の明かりを頼りにサラリーマンが歩いて帰宅する写真が載っていた。計画されていたバスもまだ運行されていないのだ。記事では無謀な開発事業を批判していた。

その後、遠回りの中国自動車道利用ではなく、国道2号を利用し岡山ブルーハイウェイや所々開通になっている有料道路(開通すれば山陽自動車に)を通って大阪に行くコースが便利なことが分かり、中国自動車道は利用しなくなった。

そのために、どう変化したかは知らないが、山陽自動車道と中国自動車道を結ぶ岡山自動車道、岡山空港が開設されアクセスも便利になった。東京へは1時間半ぐらいだ。
この吉備高原都市計画がどうなっているのかネットで調べてみた。

40年ほど前に、吉備中央町を中心に1800haを保健福祉区、自然レクレーション区、研究学園区、産業区、センター区、住区、農用区の分野で開発しようとした。保健福祉や研究学園など先進的計画で一部達成されたが、1997年に資金難で計画は延期され、2002年新規事業は凍結されたようだ。

住区での空き地、産業区での売れ残りの要因は分譲価格が高かったり、公共交通機関が未整備のために車がないと暮らせないというどこでもある問題を抱えているようだ。

この吉備高原都市に著者が言うように首都機能を移転するのは一理あるかもしれない。栃木/福島のように福島第一原発の影響も受けないし、心配されているアウターライズ地震の心配もない。愛知/岐阜のように東南海、南海地震の心配もない。

自然に囲まれた環境の下で日本の未来を探るのも良いかもしれない。


高嶋哲夫さんの「首都移転先を岡山県の吉備高原へ」の話に、昔を懐かしむ私だった。


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