2014年4月22日火曜日

集団的自衛権行使:70年前の理想的憲法第9条も解釈見直しで大揺れ?

集団的自衛権行使で70年前に理想的条項だった憲法第9条が揺れている。そもそも我が国の平和憲法は、諸外国民の公正と信義に信頼を置く(憲法前文)という無理を覚悟の制定だったことも影響しているのではないか。戦争放棄、戦力、交戦権の否認は我が国憲法の代表的条項であるが、安倍総理が推し進める集団的自衛権行使の憲法解釈見直しで理想憲法も揺らいできた。

一方、「憲法9条を保持する日本国民」が2014年のノーベル平和賞候補にノミネートされた。安倍総理が進める改憲を国際的力で穏便に止めようというのだ(Tokyo Web2014.4.12)。

自衛隊そのものの存在も第9条から判断すると危ういものになるが、自衛隊や安保条約なくして日本国土を防衛することなど無理なことは分かっている。

更に、尖閣問題、竹島問題、これから重要になってくる朝鮮半島有事、自衛隊の世界での平和維持活動への参加など政治家にとっては難しい政治課題に直面している。それが集団的自衛権行使の是非の論議になって来る。

70数年前の悲惨な太平洋戦争の結果、1945年7月26日ポツダム宣言を受諾し、自由、民主、平和的責任のある政治の樹立のために明治憲法を改変する必要があった。2度と悲惨な戦争をやってはいけない反省から憲法前文には「諸国民の公正と信義に信頼」し、無理なことは分かっていながら第9条の制定となった。

しかし、今の国際情勢、日本を取り巻く情勢も「諸国民の公正と信義に信頼」してばかりはいられない情勢になってきたことは中国、韓国そして北朝鮮の現状を見れば理解できる。

私も以前、このブログで「集団的自衛権行使は憲法解釈の見直し云々の問題よりも「信義」の問題ではないか」と書いたことがある。自衛隊と米軍が日本国土防衛のために行動を共にしているとき、相手国が米軍を攻撃した時、自衛隊は第9条があるので反撃は出来ないというのであれば米軍(アメリカ)は何と思うだろうか。

日本の国土、国民の生命の安全、財産を守るためには憲法第9条云々を言っておれないのではないか。

今論議されている憲法解釈見直しによる集団的自衛権行使には、日本の国土ばかりでなく他国も防衛することも含まれていることを考えると急がず、じっくり審議する必要がある。朝日新聞(2014.4.22)の世論調査でも反対56%で賛成27%を上回っているし、今国会中に憲法解釈を変える必要はないが68%を占めている。

安倍総理は集団的自衛権行使容認派を法制局長官に選任したり、最近では高村理論と言って、「必要な自衛のための措置をとることは国家固有の権能の範囲内で憲法解釈を変更しての集団的自衛権の行使を限定容認することは許される」と言い出した(讀賣新聞2014.4.20)。

自衛隊は今、国連平和維持軍など海外での活動の機会が増えてきた。

70年前に比べると日本が置かれている情勢は大きく違ってきた。平和主義には反せず、憲法改正の手続きをせずに自衛隊活動を容認する方策を解釈見直しで切り抜けることがいつまで続くのか。

憲法改正もなかなか難しい状況下で、国土防衛、世界での平和維持活動をどうするか。避けては通れない政治課題だ。少なくとも海外で国連軍、多国籍軍などで活動する場合は集団的自衛権行使を認めるべきではないか。


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