2014年5月10日土曜日

これが帝王学?:天変地異、災いは為政者の責という考え

「天変地異、災いは為政者の責」、これこそ帝王学なのか。連休中に読んだ新聞記事で朝日新聞(2014.5.6)の「プロメテウスの罠 911 震災と皇室「にじみ出たお気持ち」」が目に止まり2年前に購入し読んだ「歴史の中の大地動乱」(保立道久 岩波新書2012.8)を思い出した。

3.11震災後、天皇、皇后は強い意向もあって、高齢を押して7都県を訪問し被災者を見舞われたという。前例のない連続訪問で訪問地も自ら決められたそうだ(朝日新聞)。その度にテレビニュースで報道されたので私たちの記憶に残っている。

明治学院大の原教授は「災害や戦災の被災者を見舞うことは、皇室の伝統」といい、天変地異は天が君主をしかり反省を促すために起こす」という天譴論に立っているというのだ。

「天皇は災害も又自分の責任と考えている」のかもしれないと想像している。

「歴史のなかの大地動乱」でも「天皇が大地震、火山噴火、疫病の流行などの天変地異は自分に責がある」と考えていたのだという。

725年頃には地震がしばしば起きたが、聖武天皇は「責の深きことは予にあり」と王者の責任であると説いたのだ。

これは、中国思想を受けており、周の文王が地震にどう対処したかの挿話だそうだ。群臣が「地震を他所に転移させるために「国城を増やす」など事業を興し必要があると言ったが、文王は「自分に罪があるために天は自分を罰する」のだと言い「自分の徳」を高めれば地震はやむと宣言したというのだ。

聖武天皇は「異常な天地の災害は朕の政治の力が十分でないところがあった」というのだ。

820年代に京都で群発地震が発生したが、当時の淳和天皇は「政治に間違いが多いことを天が戒めるために異変が起きるのか」と詔を発している。

2011.3.11の東北地方太平洋沖地震の規模も津波の巨大さも869年の貞観地震の再来であったことが分かっているが、869年清和天皇は怨霊の噂もあったが、「責め深く予にあり」と責任は為政者である自分にあると述べているのだ。

昔は天皇が政治にかかわっていたが、今は国民が選んだ政治家だ。

地震、火山噴火、水害、疫病の流行などが政治家の責任とは思っていないだろうが、被害を最小限にし、国民の生命、財産を守るのは政治だ。天変地異が起きて被害の規模を見て政治家が自らの責を認識するのでは遅いのだ。

ところで、あの巨大地震、巨大津波、更には福島第一原発のメルトダウン事故のどの部分を誰の責任とみるのか。

民主党政権のドタバタする政治、官僚の危機管理の欠如、原子力発電は安全と吹聴していた原子力村の族議員、官僚、学者、企業、巨大津波への安全対策を怠っていた東電、「自分の責任」と感じる為政者とそれに群がる者達の責任は大きいのではないか。

迫っている首都直下地震、必ず起こる相模トラフ地震、南海トラフ地震を出来るだけ回避すべく政治家は天罰を受けないよう間違いのない政治をしてほしいものだ。

常に天皇、皇后の言動を見ながら為政者は姿勢を正すべきではないか。



1 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

あなたはアホですか!?天災が為政者に徳がないから?あなたは「津波は天罰」とのたまった石原慎太郎よりアホです!http://vermilonswan1988.hatenablog.com/?_ga=2.8912956.820877885.1542894281-2019413012.1542894281