2014年5月15日木曜日

集団的自衛権行使論争:選択肢は「戦争への危機」か、「安全保障」なのか

15日も国会前で集会があるのだろうと
思って10時ごろ行ってみたが社会科で
の国会参観の生徒とバスでごった返し
ていた。小雨模様できっと午後からの
集会だろう。
2014.5.1510時頃撮影
安倍総理の集団的自衛権行使へ向けた憲法解釈見直しへの前のめりが顕著になる中で、議論を置き去りにされた国民の選択肢は「戦争への危機」か、「安全保障」かということになる。安保法制懇の報告書を受けて15日、安倍総理は政府の「基本的方向性」を確認し国民に説明するらしい。

政府は安全保障のためには、日米同盟をゆるぎないものにする必要があると従来の個別的自衛権、警察権を超えて集団的自衛権に踏み込んだ。

新聞報道によると、安保法制懇の報告書は「集団的自衛権の行使は憲法9条の定める必要最小限の自衛権の行使の範囲内だ」と憲法解釈の変更を求めているが、従来の政府答弁との整合性がとれない。

安倍政権が外交をつかさどる中で不都合なことが起きているのだろう。

そこで憲法改正が謳われているのだが、そのハードルは高い。当面は憲法解釈の見直しでしのごうとするのだ。

我が国憲法は、終戦、ポツダム宣言受諾でうけ、民主政治を確立する必要に迫られた。そして二度と悲惨な戦争はさけようと、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼し(憲法前文)、現行日本国憲法で理想的な第9条で戦争放棄を謳った。

しかし、今日本の置かれている世界情勢は大きく変わり、近隣諸国との信頼性も崩れつつある。

日米安保の強化と日本の自主防衛の必要性が高まったのだ。

安全保障の強化は分かるが、集団的自衛権の行使容認は場合によっては「戦争への危険」も出てくるのだ。「地球の裏側まで行くのか」、日本から遠く離れた地域へ自衛隊を派遣することへの危惧があるのだ。

政府は基本的方向性を出すというが、審議は不十分のようだ。

朝日新聞(2014.5.15)には、驚くべき実態が紹介されている。安保法制懇の最後の会議でも報告書原案は回収され、メモに基づいて議論されたという。十分に議論されたと国民を欺くやり方だ。

安倍総理の集団的自衛権の前のめりは、官僚主導で行われているのだ。

当然国民の判断もまちまちだ。

メデイアの世論調査でも朝日新聞は賛成27%、反対56%、読売新聞では必要最小限の範囲で賛成63%、反対25%だ。

当然のことながら、政党の考えも分かれる。

自民党は、集団的自衛権は限定容認で憲法解釈の見直しを迫る。

公明党は、従来の個別的自衛権、警察権で対応可能と言う。山口代表の「公約にある経済再生を置き去りにして公約にない集団的自衛権に前のめりだ」という意味の発言に与党の一員としての批判がうかがえる。真っ当な意見だ。

みんなの党、日本維新の会は限定容認に賛成、結いの党は従来の政府答弁と整合性がなく反対だが、「どうしてもというのであれば・・・」と口を濁す。

民主党は相変わらず賛否両論でまとまらない。

これでは、国民に判断せよと言っても無理な話である。

安倍総理は「日米同盟をゆるぎないもの」にするためというが、本当なのか。日刊ゲンダイで米の外交専門家のモートン・ハルぺりンさんの話が紹介されている。それによると秘密保護法より優先度は高いが、最も優先度がたかいのは貿易だといい、プライオリテイーはそんなに高くなく、政府の言い分を100%鵜呑みにしてはいけないという。

集団的自衛権の行使容認は、幅広い検証と進化した議論が必要だというのだ。

憲法解釈の見直しでは無理、憲法改正して行使するのが本来の姿ではないか。

私たちも、すぐに「戦争か」と言うのではなく、国際情勢の中で「日本が活躍するためには何が必要か」をしっかり議論すべきではないか。

近隣諸国の平和を愛する公正と信義に何時までも頼っていくことはできない時期に来ている。






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