2015年3月11日水曜日

震災からもう4年:遅れている復興計画を進めるか、従来のやり方で痛みを繰り返すか

読売新聞 2015.3.11
震災後もう4年が経ち被災地の復興計画の進捗が話題になっているが、天災(自然災害)に勝てる技術はない。遅れている復興計画を見直ししながら進めるか、歴史の示すと通り従来のやり方で痛みを繰り返すか。いつも天災の話になると寺田寅彦博士の言葉が引用されるが、孫を保育園へ迎えに行った帰りに宗教団体の広報掲示板で博士の言葉を見ることが出来た。

曰く「天災ばかりは科学の力でもその襲来を中止させる訳にはいかない」というのだ。当然で、「天災は繰り返す自然災害だ」と自然は頑固で執念深いともいう。

寺田寅彦博士
1933年3月に東北の三陸地方で死者約3000人、流失倒壊家屋約7000戸の巨大地震、津波が発生したが寺田寅彦博士は「鉄塔」という雑誌に「津浪と人間」という文章を発表した。こう言う災害が発生すると人心に警告を与えると共に同じ場所で痛い目に遭っていたことを思い出させるという(「寺田寅彦は忘れた頃にやって来る」松本哉著 集英社新書 2002.5)。

1896年にもこの地方を襲った「三陸大津波」とほぼ同じ自然現象が37年後の今、再び繰り返されたが、その37年間は人間にとってどういう意味があったのかと問う(同上)。

そして今もっても的確な考えを記している。

博士曰く、37年前に津浪を調べた学者、役人、新聞記者はたいてい故人になったり引退し、その時若かった人たちが地方の中堅になっている。津波に懲りてはじめは高いところにだけに住居を移していても、5年、10年、20年と経てばいつともなく低いところを求めて人口が移っていく。そして運命の37年後が忍び寄ってくるという(同上)。

そこで2011年の東日本大震災と言えば先の地震、津浪来襲の1933年から78年後に当たる。この78年間に何をやっていたのか。

80~90代の年配者であれば当時の教訓を知っているだろう。地震が発生すると必ず津波が来ると必死で高台に向かい助かった老女、「これより下に家を作るな」との警告碑を守ったかどうかは知らないが高台で助かった家族のニュースが流れる一方で海岸べりなど平たん地で生活していた多くの人が犠牲になった。

防災意識もあって3階建ての防災センターを建設したが、今回の津波は尋常とは思えない想定外の高さであったために逃げ込んだ多くの人も犠牲になった。

寺田寅彦博士の指摘通り平たん地での街づくりが再び痛い目にあうことになったのだ。

更に今回は、当時はなかった原発が津波で電源供給が不可能になりメルトダウンというあってはならない事故を起こし立ち入り禁止区域で避難生活を余儀なくされたり農地の放棄、汚染土の保管など未曾有の経験をすることになった。

これからどういう復興をやっていくのか。そしてそれは再び痛い目に逢わぬ復興計画なのか。

災害発生時の民主党政権は復興に当たって「50年後も立派に耐えられる復興計画を」という意味の発言をしていた。「箱モノを作って人を寄せ付けろ」という意味に聞こえた。

しかし、「それは違うのではないか。今回の被災地は将来過疎化が心配され、財政的にも自分たちで維持管理できる身の丈に合った復興計画をやるべきだ」という意味の記事をブログに掲載した。

4年後の今、技術的にも財政的面でも復興計画の見直しが必要になっている。

2015年までの集中復興期間内に26.3兆円が予算化され、全国民が復興に協力すべきだとして所得税の増税(37年まで)で賄っているが2016年以降はまだ決まっていない。国の借金も1000兆円を超え財政健全化の課題もあって「自立すべきだ」として国は県などに拠出をうながしている。

一方で被災県は団結して反対する。チョットでも減れば復興は止まるというのだ。すべて国の予算でと考えればそうなるだろうが、やっぱり被災県、自治体も復興計画の見直しもして自らも負担すべきだろう。

今は東北地方の被災地であるが、これが首都直下で東京をはじめ日本の中心地での震災だったらどうするのか。とてつもない復興計画になり東北3県の比ではない。

しかも復興計画も防波堤の建設の前に住宅など街づくりが進められている。安全なまちづくりが当初の基本目標だったはずが、安全を欠いたままの町づくりになっているのだ。

その防潮堤も完成したのは8%、建設中が53%、未着工は37%になるらしい(読売新聞2015.3.11)。

その防潮堤も高さを増すばかりで海の見えない生活に不安を募らせる住民も多く、計画の見直しがされている。

毎日新聞Web版(2015.3.10)によると、被災自治体の40%が復興計画の見直しが必要という。財源の確保、資材の高騰、作業員不足で工事の遅れが生じているのだ。
入札不調が出ていることに驚くよりも当然だろうと思う。当時からこの問題は指摘されていた。

寺田寅彦博士流に考えると、こういうことが続くといつの間にか痛い目にあったことを忘れて防潮堤のない今までどおりの街づくりが進むことになるのだろう。

むしろその歴史を繰り返してきたことになる。天災に勝てる技術はないのだ。


0 件のコメント: