2015年3月18日水曜日

見えてきた原発の実態:再稼働も廃炉も茨の道、増設、新設は論外か

運転開始ら40年、低出力の原発5基の廃炉が決まった。廃炉が決まると原発の実態が見え始めた。原発事業を始める前に決めておかなければならなかったいろんな問題が残っており、再稼働するにも茨の道、いわんや増設、新設は論外の雰囲気だ。

すでに運転が終わった3基は廃炉作業を行っているが基準作りや高濃度汚染構造物などの処分場が決まっておらず炉の中心部に入れない状態だという。

思えば大学受験の頃、工学部の原子力工学科を目指そうかと考えたことがある。実験炉も持っていたがその当時応募者が定員の2倍前後を示していた。ちょうど私の受験時は前年1.8倍だったがその年は2.2倍だった。学科の紹介でも原子力産業に従事する卒業生は少なく、エンジニアリング会社への就職が多いということだった。

その頃建設が始まったのだろうか。10年後に原発が稼働し始めたと記憶している。

原発立地は大量の冷却水を確保するために海辺の平たん地、寒村が選ばれた。当然漁業している人たちは猛反対したが、寂れる一方の土地にあって「泥田に鶴が舞い降りた」と賛成する住民が圧倒的に多かったのだ。

原発ができればアメとして巨額の交付金が配布され、原発本体だけでなく、周辺の環境整備がすすむ。不釣り合いなほどの道路整備、建物で地域の振興も進む。

「巨大技術で原発ほど安全な設備はない」と政府や御用学者ははやしたてた。でも著名な物理学者の中には、原子炉を十分に検討せず、アメリカで開発されたそのままを日本に持ってくることに反対する者もいた。我が国にあった技術に改良することが先だと主張していた。

特に地震対策は日本独自の技術が必要だったのだ。今回の東方地方太平洋沖地震での津波災害を見ると一目同然だ。

そしてさらに「情報公開」の必要性を問うていた。原発で何か事が起きれば設置自治体、近隣住民は情報が少ないと怒るが、民間会社の隠ぺい体質は今に始まったことではない。

後処理のことも考えないで原発の発電単価の安さは、放射能汚染事故、原発の廃炉を考えると信じられない安さだ。
更に思い出してみよう。あの計画停電のことだ。東京にいたときは計画停電に逢わなかったが、所用で群馬に帰った時は朝と夕方の2回計画停電にあった。寒い時だった。仕事で体を動かしている時はいいが、何もすることがなくなると耐えがたい寒さだった。

その時も電力会社は電力不足を主張したが、有識者は供給電力量が少なく見積もられているのではないかと疑問を呈していた。事業者である電力会社が情報を十分に公開しないのだ。経済産業省だって国民のためではなく、事業者のために動く。

こんな状況下で原発事業はやっていけるのか。

自治体対策、ごみ処理など面倒なことは国(国民)に頼り、いいとこ取りだけする電力会社に原発事業を任せていいのか。

電力会社に問うてみよう。廃棄物処理などを自分でやる決意があって原発事業を続けたいのか。

後処理も確立されて初めて事業として成り立つのではないのか。中途半端でいいとこどりの今の電力会社の原発事業には賛成しかねる。



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