2015年11月12日木曜日

最高裁の違憲審査は「具体的損害」がなくても「実質審理」の道を開くべきでは

最高裁の違憲審査は「具体的損害」がなくても「実質審理」の道を開くべきではないか。安保関連法の違憲訴訟が準備されているようだが実際に具体的な損害を被っていなければ裁判所は実質的に審理せずに「門前払い」するのでそれを避けるために、朝日新聞(2015.11.12)によると憲法学者らは「平和的生存権」の理論を持ち出すという。

しかし最高裁など裁判所への違憲提訴は「具体的事件を離れて抽象的に法律、命令などが憲法に適合するかしないかを決定する権限を有するものではない」(最判大・昭和27年・10月・8日)という判例を踏襲し「門前払い」の状態だ。

そこで今回の安保関連法により具体的にどんな損害を受けたかをはっきりしなければ「門前払い」の運命だ。

更にハードルが高いのは、「高度の政治性を有するものが、違憲であるか否かの法的判断は司法裁判所の審査には原則としてなじまない」(最判大・昭和34年12月16日)という「統治行為論」という壁がある。

でも、50~60年前のこんなコトばかり言っていると本当に憲法を護ることが出来ないのではないか。特に内閣法制局まで総理の言いなりになっている現状においては「具体的損害」がなくても「合憲か違憲か」を踏み込んで判断する道を開くべきだ。

現実に損害が出るのを待つと言うことは早めに救済するコトにも反する。

最高裁判所が自ら違憲審査権に制限を設けることは国民の権利を無視か、否定することになりかねない。

慶応大学名誉教授の小林先生達が考えている「安保法の成立で平和的生存権が侵害された」という論理も憲法前文から導き出されると思うが、裁判所が50~60年前の最高裁の判決を踏襲する限り期待薄の感じだ。

現憲法を守るためにも、ここは最高裁が思い切って「違憲審査」に踏み込む判断をすべきではないか。

 

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