2017年1月7日土曜日

伊能忠敬記念館へ:ここを訪れた年配者は皆元気づけられて帰る?

記念館ロビーに飾られた伊能図 伊能忠敬記念館で
忙しかった正月も終わり7日、佐原の伊能忠敬記念館へ、ここを訪れた年配者は皆元気づけられて帰るという。そりゃそうだろう。50才で隠居し天文暦学を学び70才まで測量を繰り返し実測日本地図を作ったのだ。

伊能忠敬記念館
正式には「大日本沿海輿地全図」という通り海岸線を測量して周り地球の1周分に近い3万6000kmを歩いたそうだ。

その精度は記念館の展示室入り口に飾られた実測日本地図でよく分かる。北海道の辺が東西にズレているが衛星からの図と合わせるとほとんどぴったりだ。海岸線の出っ張り、瀬戸内海の島の多さも良く測量されている。

フランスの天文学者の著書を江戸時代の天文方高橋至時が翻訳した専門書で伊能忠敬は独学したらしい。展示されている著書で開かれているページが地球の大きさを測る方法が図示されていたが、今の専門書でも同じ方法で測量する事が分かる。

学術員の説明では伊能忠敬は当時武士の子ども達は、寺子屋のようなところでしっかり勉強したそうだが、伊能忠敬はそういう所ではなく、独学で多くの分野の専門書を読破していたそうだ。その蔵書の一覧が表示されていたが天文学は勿論、植物学、歴史学など多義に渡っていたのには驚かされた。

今のような既成の勉強では伊能忠敬のような人材は育たないのだ。

測量も大変だ。以前、新聞で読んだ事があるが太陽が出て明るくなると現地で測量しノートに数値を記入、宿に帰って地図に落とす作業の連続なのだ。一箇所に長くは滞在できず体力の要る作業だが50才を超えてから始めたのだ。

そして感心するのは、兎に角ノート、記録は丁寧な字で記されている。昔の人はきちんと字を書いていた。今はワードを使えば漢字変換も出来るから書く字は汚いし、確実に漢字を書けない。反省しなければいけない。

今回で2度目の見学だったが、入念に地図に見入った。よく見ると住んでいる地名、行ったことのある地名が目につく。家内が「安中があったよ」と笑顔で話す。
周辺のスケッチもされ、大図の作成にいかされている。伊能図がなかった頃はスケッチ入りに荒い地図(?)だったが、伊能図が出来てからは3万6000分に1の正確な地図になった。

最後に学術員が言う。「ここを訪れた年配者は皆、元気づけられて帰って行く」と。「何でも良いんですよ、自分の好きなことから始めては」とアドバイスしてくれた。

見終わって近くのレストランでコースを注文した。向き合った家内と今回の見学の話をした。伊能忠敬は独学で勉強し、17才でコメの売買や酒造りの商家へ婿入りし家業の合間に勉強したことが話題になった。


私も「本を読む事は好きだが、家内の実家の家業が問題だったのか」と言うと家内は大笑いした。
舟運が佐原の繁栄をもたらした

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