2018年1月21日日曜日

鉛筆と紙:「できる人」と見られなくても筆記具はこれだ

愛用しているKOKUYOの鉛筆シャープ
手軽なボールペンやシャープペンではなく鉛筆で手書きメモする人は如何も仕事が出来そう(京大川上浩司教授近著)とまで言われなくてもやっぱり筆記は鉛筆で紙に書くことだ。一度ペンタブレットでPCに記入し保存することをしてみたが長続きせず相変わらず鉛筆で紙にメモしブログの記事が出来れば破棄することにしている。

ボールペン、シャープペンも使ったが太字と言っても物足らず、滑りも良くなく書きづらい。いろんな所でもらってくるので数は多くなるが満足のいくものはない。

やっぱり鉛筆に紙だ。

孫が通信教育で端末にペンで入力し正解かどうかをチェックしているのを見て、教師をやっている母親に「勉強は鉛筆に紙だ」というと母親も「私もそう思う」とペーパーによる通信添削に切り替えた。

鉛筆だとナイフで削ることになるが大事な事だ。間違えれば消しゴムで消して改めて書く。思考を繰り返すのだ。絵を描いたりするときは便利だ。濃淡を付けることが出来るのでデッサンになる。手や頭の運動に良いらしい。

子どもには鉛筆が良いが、私はKOKUYOの鉛筆シャープを使っている。芯の太さは1.3mm、2Bだからすらすら書ける。もう4年虜になった。年をとると鉛筆を削るのが面倒になるので丁度良いのだが、芯を扱っている文房具コーナーでもこの芯は手に入らないので特注するか通販で購入することになる。

書き心地は仕事には重要だ。ある程度の太さですらすら書けることが第一だ。ボールペンやシャープペンではマネが出来ない。

紙はコピー用紙を使っているが、出来るだけ白紙の広告や配布物の裏側を使っている。どうせ原稿が仕上がると捨てるのだからそれで良いのだ。

最近「量子」に凝っている。鉛筆や紙は原子と分子がスクラムをくんで固体となっている。紙の表面は細かい原子と分子の凸凹があり、そこに鉛筆が当たって鉛筆側の原子や分子が削り取られる。そして平面に残った鉛筆の原子と分子が文字や絵となる。削れるところがポイントなのだ(「先生、それって「量子」の仕業ですか」大関真之 小学館2017.2)。

更に鉛筆の効用を記述した本が出版されている。

まだ購読中だが、「なぜ「鉛筆で記す人」は「できる人」っぽいのか」という。話している自分と書き留めている相手との距離は鉛筆であれば近い気がする。鉛筆の方が「信頼できる」と感じるが、「PCでメモ」は冷たく感じるというのだ。その違いは「物との約束」と「人との約束」の違いだという。鉛筆は「物との約束」によって文字を書くがPCは「人との約束」により文字を書く。鉛筆から紙へ黒い色が移動する物理法則に従っており絶対的に裏切らいというのだ。

「鉛筆で書いているあなた」という姿が「人との約束」を介さない直接的な信頼感や暖かみをさりげなく演出しているのだそうだ(「京大式 DEEP THINKING―最高の思考」川上浩司 サンマーク出版 2017.11)。

「できる人」と認められなくても「鉛筆」は本当に便利だ。スラスラ書けることは思考も進むのだ。


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