2018年4月19日木曜日

今日の新聞を読んで(150):災害の予兆が活かされないのは人間の性か


多くの人が知っている災害の予兆を生かせないのは人間の性か。今回の大分県中津市耶馬渓町金吉で山崩れが発生し地元住民の方が犠牲になった。心からお悔やみ申し上げます。

雨も降っていない、地下水も大したことはないのに突然や山が崩れた。専門家は山の表面の岩盤が風化して崩壊の危険があったという。現場にも亀裂が見つかった。報道写真から見るとまず中腹が崩れ、次いで上部が崩れた様子がうかがえる

本当に突然だったのかというとそうでもない。住民に方には予兆(前兆)を感じた人もいたのだが、いつもの通りで「後から考えればそうだったのか」ということで被害回避には役立たなかった。

残念なことである。

今回も「木の葉がこすれるような音」を聞いたとか、「小石が落ちる」のを目撃したという。このほかにも「ガスのにおい」「寝ていて枕もとでゴロゴロという音」を聞いたという経験談もあった。

災害には前兆がある。巨大津波の前には巨大地震(例外もあって津波だけの時もある)、地震の前兆には付近で小さな地震の多発、スロースリップが止まる、
山体の異常、GPS測位の異常などがあげられるが因果関係がつかめていないものもある。

近いうちに起きるであろう富士山の噴火も前兆として付近の火山の噴火、地震多発が挙げられている。

わかってはいるのだが、予兆(前兆)をどう処理し活かすかなのだ。

住民が予兆を知る→市町村の担当部署に連絡→担当部門でどう評価するか→地域に伝えて避難を警告するか、しばらく様子を見るか、問題なしとみるか。

住民が予兆、平生は感じない異常を察知できるか。これには昔から言われている地元の災害記録、防災教育が大事だ。ここで一番大事なのは「言うべきか黙っておくか」の判断だろう。がさネタだったら恥ずかしいとの思いが先に立つ。そのためには行政側が頻繁に地域住民と接する必要がある。

予兆の連絡を受けた市町村の担当者の判断が重要になる。地域の赴いて更なる情報を得ることも大事だ。[なんだ何も起こらないではないか]と批判されることを怖がっていては防災にならないし、実際に起きてしまえば、「折角教えたのに」と批判を浴びることになる。

ほとんどの人が「大したことはなかろう」と考えるから被害が甚大になるのだ。

3.11東北地方太平洋沖地震での巨大津波で東電福島第一原発があってはならない甚大事故を起こしてしまった。政府から15,6mの津波の予測が出ていたのだ。対策の見直しが施され若い技術者が防潮堤の改善提案したが副社長は「先送り」を指示した。

トップ経営者がどういう理由で「先送り」を決めたかはわからないが、「そんなことは直ぐには起きないだろう」と判断したろう。担当技術者は「すぐには起きないだろうが対策は必要だと考えている」と公判で述べていた。

まずいことに東電はこの決定を他の事業者にも連絡したというのだ。リーデイングカンパニーとして姿勢をしめしたのだろう。

「災害は忘れたる頃来る」とは寺田虎彦博士の言葉と言われているがそうではなさそうだが、「災害は気が緩んだ頃、やってくる」、必ず災害は来るのだ



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